リオ五輪代表候補 決定

リオ五輪代表候補 決定

とてもお久しぶりです。

ログインの方法が変わっていて、ログインに時間がかかりました。

facebookやSNSでは、書ききれなかった裏側も、個人的目線で報告できればと思い、更新しました。

もう発表があり、ご存知かと思いますが、リオ五輪BMX日本代表候補に選出されました。

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僕一人の力ではなく、日本チームが一丸となった結果。個々の努力が、1つになった。

BMXレースは、個人スポーツだが、オリンピック国枠を獲得するのには、国内3人の合計ポイントが国のポイントになるため、国枠を獲得するのはチーム戦でもあった。

僕はこのレースに行くから、他の選手はこっちの大会へ、というような、作戦もたくさんあった。

最終的に個人ポイントを多く持っていた僕が、選出された。

個人ポイントで選出される仕組みから、チーム戦でもあり、個人戦でもあった。

だからこそ、一緒に戦った、吉村ジュキア、松下タツミ、吉井コウヘイの3人の事もみんなに知ってほしいし、この選手たちの分も、精一杯オリンピックで戦っていきたいという思い。

また、戦略やポイント計算、たくさんの仕事をこなしてくれた、日本チームの三瓶コーチ

ヨーロッパ選手権転戦時は、ライブ放送があるが、日本は夜中。それでもライブ放送から動画を撮って、すぐにフィードバックがあったり、

自分では見れない他の選手のラインや動き、ワールドカップではチームを引っ張ってどこにでも飛んできてくれた。

たまには、自分勝手な自分にキツく指導されたことがあるけど、それでも自分の意見を押し通して、反抗して行った時もあった。

2015年肩の手術の時も、緊急に手術が必要だった自分の状況でも、病院側のスケジュールも一杯。手術1か月近くかかるという状況で、病院を4,5個足を運んで状況を見てもらったり、それ以外にも電話して、1日でも早く手術ができる病院を探し回ることを、すべてやってくれた。

2012ロンドン五輪まで、選手として戦ってきたが、それ以降コーチに転向した。ロンドンを逃した悔しさを味わったからこそ、次のリオは俺がマサを連れて行くと約束して、やっとここまでこれた。

メカニックの光武さんには、いつも自分の思い通りの自転車を作って頂いた。

ヨーロッパにいるからこそ、最先端なパーツや新作を見ることができる。

それに付け加えて、自転車の色合いや、見た目を気にする自分の思うように、自転車を組んでいただいた。

あるクランクをテストするため、半年以上の試行錯誤からできたクランクを、僕が1日テストして、やっぱりダメだという自分勝手な行動も、何も言わずやって頂いた。

また2012年、スポンサー活動をしていた自分の、プロフィール紙切れ1枚で、どれだけ教えていただいたか。

当時は、大人事情も知らない自分を、大人目線で、たくさん教えていただいた。

その他にも、名前を挙げれば、数えられないほどの人が、僕を支えていただいている。

マネージャーの高松さん、各社スポンサー様、 JBMXFJCF岡山県BMX協会、メンタルコーチ石田さん、BMXを始めた時から、ずっと見守っていただいている、藤原整体の藤原先生、そして仲間や家族。まだまだ数え切れない方々がいます。

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中学時代までは、レースで1つも勝てなかった。ただただBMXが好きだった。

BMX仲間に恵まれ、毎週末干拓の太陽の広場でBMXを乗ることがとても楽しみだった。

2011年1月から2013年1月の間、自分の22年間の人生の中で、一番大変だった時期だと思う。

お父さんのバラ園の経営状況が厳しくなり、遠征費の援助は一切しないとばったり言われて、真剣にスポンサー活動を開始。

バイト週6から国内遠征費を作って、片道代しかなかったけど、レースで優勝すれば帰りの賞金が出る。

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これで、Jシリーズ4戦出場した大会で、すべて優勝することができた。

バイトとトレーニング、スポンサー活動で、決してアスリートというような生活リズムは送れていなかった。

世界で戦うためには英語も必要だから、英語も必死で覚えたり。

BMXだけだとメディア関係も狭くなってしまうんじゃないかと思って、シクロクロスにも参戦したことがあった。

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また、スポンサー獲得の時には、リオ五輪で金メダルを取る。と堂々と話していたが、当時の自分には海外での結果がなく、自信がなかった。

でもスポンサーを獲得して海外に出るには、言うしかなかった。でも、根拠のない自信だけはあった。

当時17-18歳の自分は、300社以上の会社に電話したり、会社まで行ったり。

人と話すことは好きだが、真面目な話が苦手な僕は、電話をかける度に緊張していた。

またBMXという響きから、だらしないんじゃないかという世間的なイメージを崩そうと、キッチリとした服装を心がけていた。

見た目だけでもと思っていたが、やっぱり自分の「言葉で伝える」ということができず、何回もチャンスを逃した。

笠岡のBMX仲間から岡山の企業ベクトルを紹介していただき、メインスポンサーを獲得。

このベクトルには、僕が世界を目指せる環境を最初に整えていただき、今でも感謝でいっぱい。

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その翌年2013年から、プロBMXレーサーと公言できるようになったと同時に、本格的に海外(スイス)に拠点を置けるようになった。

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当時、全日本選手権3連覇から世界選手権エリート7位、その秋に2020東京オリンピックが決まり、コマーシャルでユニクロにピックアップされ、僕の2020年間での計画ができた。

そして2014年は、自分の中で飛躍できた年。前年の世界選手権はラッキーもあったが、この年は実力でワールドカップで決勝まで行くことができた。

また、ヨーロッパ選手権では4個の表彰台。南米チリの国際大会では、ロンドン銅メダルを下し、2日連続で優勝。そして自身初のエリートアジアタイトル獲得。とても順調な年だったが、この年には、4回ほど肩の脱臼を繰り返していた。

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2015年、1月からスイスに戻ったが、1月後半の1週間で、2回肩を脱臼してしまい、痛みに耐えられなくなり手術を決意。

急遽日本に帰って、術後は東京のJISS (国立スポ−つ科学センター)でリハビリ。海外のライバルには、気付かれないように、SNSでは一切情報を流さないようにしていたり、スイスにいるような撮り溜めていた写真を投稿したりしていた。

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日本にいながら、誰にも会えない孤独な生活だったけど、リハビリは順調に行き、6月の復帰戦ヨーロッパ選手権では、準優勝。

その後良い流れを掴めるかと思ったが、2014年の良い思い出だけが残り、実際の自分に納得できず、最後は何のためにレースしているんだ?というような意欲のないレースが続いてしまった。ただオフシーズンを待っていて、2016年の準備がしたかった。

2016年オフシーズンは、自分の中で成功した。タイムも自己ベストを更新したり、ジムでの数字もとても良かった。3月初戦のマンチェスターオープンは、準決勝6位だったが、4位を走っていた時に抜かれてしまった。失敗は明確で次のレースを楽しみにしていた時に、リオオリンピックコースをテストしていた時に、転倒。翌週のワールドカップ初戦は出場したものの、痛みにには耐えられず予選敗退。スイスに戻り、MRI検査を受けると、左股関節の肉離れ。ベッドの寝返りも痛くて、毎日の生活が痛みとの戦いだった。その後2週間で、2戦目のワールドカップだったが痛みは引かず、棄権。急遽日本のC1国際大会に出場するため帰国。レースはできたものの、自分のコンディショニング不足で、8位と2位。でもオリンピックも取れて満足だった。すぐスイスに戻り、トレーニングにも戻った。ワールドカップ3戦目は、やっとレースができるようになり予選16位で通過。レースする楽しみが戻ったが、レース本番の練習で転倒、再びレース棄権だった。また、股関節を痛めて1週間休み、世界選手権まで2週間。痛みはあったが、やり切るしかなかった。世界選手権では、痛みを忘れられてレースができた。結果は、1/8決勝5位敗退で、結果36位。負けたけど、やっと自分のレースができたような気持ちで、嬉しかった。痛みから解放された気持ちと、レース展開を自分で作れた、抜かれる瞬間も予想通りで、抜き返すイメージもあったが、半車足りず敗退。

自分の成功プロセスが見えた瞬間だった。

 

簡単に振り返ってみたけど、2011-2013年の生活は、今考えるだけでもしたくない。

でも、当時はそれが普通で、苦だと思っていなかった。

僕の気持ち一心で動いてきたことに、自分の道が真っ暗な時は、それに明かりを灯すように支えてくれた、たくさんの方々がいたから、今の自分がいることを最近さらに実感している。

でもただ、感謝するんじゃなくて、やっぱり形として残したい。

バラ園の経営悪化も、自分の海外遠征など、お父さんがBMXへ注ぎ込んでくれた理由だった。自分の海外賞金やボーナスなどで、少しずつ返済して、今年から良い状況まで巻き返すことができた。

オリンピックは、自分の人生にとって大事な通過点であって、将来自分のしたいことと直接関係してくる。

スイスにいて、取材とか全くないから、いつもと変わらない生活だけど、日本にいたらオリンピックで満足しているんだろうと思う。

良い悪い関係なく、やっぱりスイスが競技をする上で落ち着くところ。

自分の生まれ育った岡山県笠岡市では、笠岡市初のオリンピアンみたいで、盛り上がっているそうです。楽しみ反面自分を保ち続けられるか少し怖い。笑

オリンピックの結果で、感謝の形を表したい。そう日々強く思っています。

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帰国日は、まだ公表しないけど、月末には一旦日本に帰る。

そして、全日本選手権6連覇に挑戦!6連覇って思いたくないけど、やっぱり思ってしまう。ただ1つのレースとして自分のレースができるように頑張ります。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。

では、全日本選手権でお会いしましょう!

以下で、常に僕の近状をチェックできます。よろしくお願いします!

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引き続き、応援よろしくお願いします。

 

 

取材等依頼が、協会や、バラ園等、バラバラに行っているようです。

事前に、用意していなかった僕の失敗ですが、今後は僕のマネージャーにお願いします。

TMG13代表 高松健二 kenjipk@gmail.com

 

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モトクロスインターナショナル (自転車)

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※写真は、適当に拝借させていただきました。

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